背景に日本の長い歴史 人の世に熱あれ人間に光あれ (2011.07.07)
松本大臣、辞任会見ですか。
権力を持ったときの、ものの言い方に、問題があります。
人間を上下で判断しようとしたことです。
現地の復興を一日も早く達成すること、
との思いは、一緒なのでしょうが、
権力を振りかざす言説が、国民の怒りを呼びました。
言ったほうも、言われたほうも、われわれも、
心が痛みます。哀しくなります。
私はこの方の祖父、松本治一郎さんたちが
水平社運動を立ち上げたときの情熱が好きです。
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ
光とは、情報であり、知恵です。それも、「智慧」です。
自分が、なぜ、日本人の社会構成の原点を
調べるようになったのか。
それは、なんでも上下でランク付けし、
上位者となったら、他者を押さえつける強者の精神性と、
自分の考えを捨て、
強いものに従おうとする自己放棄の精神性を、
変えたい、と考えるからです。
自分で考えろ、知恵を出せ。
この指摘は間違い ではなかったのですが。
「お上にたよるな」は、私の信条です。
今では、地球すべてを飲み込んで、
すぐ目の前の問題に、解決策を考える。
瓦礫の山や不毛の砂漠に、
どうやって、人間の伸びやかで潤いのある繁栄を実現するか。
大切なのは、
人間同士の共感でした。
今ここで松本大臣の背景を考えたとき、
日本の長い歴史が頭をよぎります。
日本人とは、持統が皇祖神アマテラスを作り出して、
日本列島にいるすべての人間を子供である、
という信念体系が生まれたときから始まっています。
天皇の前身は、倭王ですが、
第十代の崇神天皇のときからです。
卑弥呼が、親魏倭王になっときから、
国際認証されました。
持統は、その「倭王」の前の、
古代出雲の王、ニギハヤヒを
出雲に祀ることで政権を安定させました。
参謀の不比等は、持統が死ぬ(703)と
都を奈良に移し、
ここで、通貨「和同開珎」をつくり、
さらに、記紀の編纂。
聖武は大仏造像を発願し、
再び、奈良に戻して大仏を造像。
聖武の娘孝謙・称徳が死去した後、
白壁王が即位して光仁天皇。
その息子が桓武天皇で、
都をいったん長岡京に移したあと、京都に遷都。
今、東京で、巨大地震の発生が危惧されています。
東京の石原知事と大阪の橋下知事は、
大阪を「副首都」として、
首都のバックアップ機能を持たせることに
合意しましたが、
皇居のバックアップは、すでに、京都にあります。
天皇は、京都御所内に、
いつでも住まわれる準備が完了しています。
千年の都、京都。