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森羅万象

天高く 底を買いたい秋底 (2018.11.09)

昭和の風林史(昭和五七年十月十四日掲載分)
秋底確認で小豆軽やかに
小豆の足の軽さは、
ただごとでない。
このような相場を弱気すると
大怪我します。
小豆相場が急変した。
夜放れ上寄りして伸びきった力は、
ただごとでない。
このような場合は
理屈なしについていくのが本筋。
きのうまでは、きのうまで。
きょうからはきょうである。
相場が変わったのに、
きのうまでの強弱を、
引きずっていたのでは、
相場に勝てない。
十月1日安値は、七月19日安値に対して
両足つきの二点底だった―
ということになる。
悪材料も織り込んでしまった―
というわけだ。
そして
天高く底を買いたい秋底であった。
薄商い続きで
売り込みが足りない気もするが、
むしろ、この上げ過程で
売り込んでくるのかもしれない。
即ち戻り売り人気。
どのあたりまで行くかといえば
十月1日安値から三千丁高近辺。
小豆は腐っても鯛である。
小豆に人気が寄らなければ
商取業界活気が出ん。
来月は
待つこと久しい六限月・全艦揃う。
司馬遼太郎が『菜の花の沖』で
吸う息、吐く息が細くなると
人間、萎(な)えてしまう―と。
わが小豆業界に限らず商取業界全般は、
なんとも息をひそめて、
段々影が薄くなっている。
大きく息を吸って、はきださなければ
業界が萎えてしまう。
この小豆、売るべからず。
押さば、買いあり。
輸入大豆は当限内部要因(売り過ぎ)が
踏み終わると品物はないない言っても
あるのだから実勢不振に逆らって
指し過ぎれば、相場には勝ったが、
勝負に負けた―ということになる。
買い大手としては、
このあたりが潮時でなかろうか。
煎れの出た相場は、
魂の抜けた、むくろのようなもので、
あとは買うほど重くなる。
●編集部註
 〝売り込みが足りない気がする〟
とは鋭い。
まるで潮を見る老練な漁師か
百戦錬磨の船商人の言葉のようである。
 今となっては
チャートが残っているので、
この読みが正しかった事が既に分かっている。
 唐突に司馬遼太郎の
『菜の花の沖』が登場するのは、
この小説が
1979年から82年1月までの間、
産経新聞に連載されていたからである。
 昔、新聞連載ものは
一大コンテンツであった。
 古くは大正時代に
朝日新聞が連載していた夏目漱石の
「こゝろ」が有名。
日経新聞に連載されていた渡辺淳一の
「失楽園」もこの系譜に入る。
 いわば、当時の人達の「共通言語」である。