選択の岐路 熟慮し、勇気を振り絞って 決断 (2018.10.26)
昭和の風林史(昭和五七年九月三十日掲載分)
小豆も生糸も環境が悪い
小豆相場は上げられるようなものではない。
生糸はますます買い方苦しくなってきた。
小豆は秋底が入っていないから
中途半端に戻すと、その反動で崩れる。
強気をしても駄目ですよというのに、
なぜ買いたがるのか判らない。
二万九千円を割って
投げるべき玉が投げないと灰汁が抜けない。
産地から新穀の売り物があっても
買い手がない。
実需が冷えきっている証拠である。
商いが極端に細っている市場は
僅かの玉の出具合で高下する。
そのような相場に嫌気して
大衆は寄りつかない。
相場の上昇というものは
市場に活力がない限り
どのようなテコ入れをしようと、
あるいは価格政策で吊ろうとしても
所詮徒労に終わるものである。
豊作の出盛り期であるし、
世の中不景気、
まして中国も売りたがれば、
台湾にも思惑失敗の六千㌧の玉が
待機していては、
この相場上にいけない。
生糸の方は期近限月の玉を
ほどくための努力が
取引所関係者によって進められていたが、
いまひとつ進展しない。
不自然な逆ザヤに対して
行政当局もかなり神経質になってきた。
規制面も第二の穀取小豆にならぬよう
急速に強化されつつある。
誰が見ても生糸の今の市場は異常だ。
限られた三軒の取引員が
納会で現物を一手受け。
これを買占めと言わずしてなんという。
長期的需給観による強気なら
先限を思惑すればよいのだ。
買い方は無理の上の無理を
業界環境をも考えず敢えて突き進めば、
その行き着く所は破滅である。
取引所当局も市場を壊したくなければ
勇気ある決断を
今程必要としている時はない事を
悟るべきではなかろうか。
七月小豆の愚を繰り返えす勿れ。
●編集部註
人生には
「やる」か「やらないか」を
選択する場面がやって来る。
前者を選択した男たちの物語が
映画「ロッキー」である。
「やる」という勇気もあれば、
当然の事ながら熟慮の末「やらない」
という選択をする勇気もある。
相場の世界に生きる人達は、
とりわけ選択の岐路に
立たされる回数が
通常よりも多いのではないか。
「やる」にせよ「やらない」せよ、
熟慮し、勇気を振り絞って
決断しない選択は「逃げ」だ。〝義を見てせざるは勇無きなり〟
という言葉もある
逃げるは恥だが役に立つ事が
〝なかった〟のが、
この時の取引所の行動であった。
それが平成の御代になって明らかになる。