昭和の風林史(昭和五七年六月二一日掲載分)
超閑散で誰もがぶ然たり
売らず、買わず、
黙然と見送られている小豆市場は
超閑散。
憮然たる表情である。
中・四国・九州方面は
海外商品業者が日経紙などに
折り込み広告を入れ、派手な営業を展開し、
海外の石油、コーヒーなどの相場で
大衆からお金を集めている。
一方、わが商取業界は、
ほとんどが玄人の投機家ばかりになった。
一部、輸入大豆市場には
大衆資金も入っているが、
相場は膠着して
建玉は張りついてしまった。
ゴムも繊維も乾繭も、
そして生糸も小豆も薄商い。
せいぜい精糖が
値動き次第で賑わう程度である。
これでは困る困ると
取引員各社悲鳴をあげるわけだ。
17日など小豆の出来高は
三市場合計三千二十九枚と近頃にない薄商い。
相場する人たちの玉は
売りも、買いも張りついたまま。
新規は様子眺めで入らない。
相場金言に
〝閑散に売りなし〟というのがあるけれど、
産地の増反と、まずまずの天候を見れば
平年作予想だし、在庫は多い。
まして不需要期。
現物筋の庭は、カラカラとはいえ、
早渡しは出る。
要するにガリバー的巨大買い仕手の存在が、
人気を離れさせた。
いま小豆相場をしている人は、
まがりなりにも皆玄人である。
大きな玉は建てなくとも
相場強弱は自分で持っている。
それらの人が、なんとも割りきれない気持で
小豆市場を見ている。
売り込めば高くなることも、
天気が崩れたら上に行くことも
百も承知の人ばかりだが、
今月も受け、来月も受け、
どこまでも買っていくという、
そういうことが、できるのか
という疑問がわだかまるのである。
●編集部註
行間から、この時の相場、市場、取引所、
監督官庁等々、あらゆる相場関連事項に対する
ニヒリズムのようなものが漂っている。
眠狂四郎の世界だ。
作劇の世界では円月殺法で一刀両断できるが、
現実はそうもいくまい。
犯罪になってしまう。
書いていて思い出す。
1990年代、金相場は下降相場であった。
買っては下がり、買っては下がりが続いていた。
1995年に反転し、
遂に上昇トレンドになったか
と思ったのもつかの間、
翌96年は箸にも棒にも掛からぬ保合相場となり、
97年からは約3年弱売り相場が続いた。
当時は手口が公開されており、
大手商社が売りまくり。
〝天誅!〟と叫びつつ
本社ビルに火をかけようかと夢想したものだ。
ただ、今になって言えるのは
「止まない雨はない」という事である。