昭和の風林史(昭和五四年七月二十七日掲載分)
あの玉を撃て 八月踏み月灼熱高
八月 踏み 月に準備して、利食いした買い方は押し目を待つ。
二万七千円は普段着の値になろう。
「大阪の祭つぎつぎの鱧の味 月斗」
ぼつぼつ市場人気は強くなりかけた。
しかし、まだ指標的な安値売り込み玉は踏んでこない。
『あの玉が踏むまで買いのままでよし』―などと言われる。
『あの玉は、安値のド壺叩いた玉』と市場で見ている。
その球が煎れてくるまでは、
相場の基調は変わらないのが定跡である。
今月は二日新ポだっただけに
人気の意外性を目(ま)のあたりにした。
さて、三千丁を急伸した背景には(1)お天気がよくない。
(2)作況が悪くなった―という外部的な現象と、
(3)弱人気の市場だった、
(4)安値を売り込んでいたという内部的要因が、
(5)下げ相場の日柄百二十日を経過、
(6)過去五年の相場から判断して、完全な大底をつくった―
という相場基本の動きと重なって、
きわめて自然の動きを展開した。
このあとは、来月に新穀一本の1月限が
大きくサヤを買って登場し、
二万七千円、八千円は普段着の相場になるだろう。
そうなると、
目から星の飛んだ?赤い星の義勇兵〟(三月一日)を
掴んだ八月限の二万六千円台の買い玉も、
もし頑張っている人がいたとしたら、
まさしく凱旋将軍、勲章ものだ。
ああ軍服も髭づらも泥に塗れて幾千里―という歌があった。
ホクレン軍の戦術の変化から、
買い方は敗走に次ぐ敗走となったが、
いままたホクレン筋の戦略の転換により売り方は窮地にある。
市場では、買い方に仕手がいないというが、
ホクレンという仕手の存在を無視してはいけないと思う。
さて、場面は利食いした買い方が、
八月文(ふみ)月、踏み上げを狙って
戦線を整備中である。
相場基調に、なんの変化も見られない以上、
五千円乗せ後の押したり突いたりのあと、
次の目標値は11・12限の二万七千円抜けである
。従って、押したところは、すかさず買われる。
いみじくも?小豆の季節〟と
、本紙夏期特集号(八月一日付け)にある。
腐っても赤いダイヤの輝きは失っていない。
“母と子の水泳教室”じゃあるまいが、
押し目買いを怖がっていたら
?八月踏み月〟相場の利益は確保出来ない。
押してよし。下げてよし。
崩れるもまたよしとして、
あの下げも、この押しも、
再び買い玉仕込みに専念するのが判りやすい。
●編集部註
どんな事があっても、
1枚、また1枚と買い乗せする相場師がいた。
「最後の最後まで買えば良い。どうせ最後の1枚は損するのだから」と、
買い玉をあたかも炭鉱のカナリアにしていた。