昭和の風林史(昭和五十年四月十八日掲載分)
黒い五月来る〝しらけ〟相場時代
小豆も駄目。手亡も駄目。黒い五月がやってくる。
まあ、のんびりいくしかないようだ。
「筍や八幡の薮の朝ぼらけ 虚子」
この一カ月、いろいろな事があって、
いろいろな面を見てきた。
そういう時に読んだから特にそう感じたのかもしれないが、
アラスカノポイントバローのフランク安田の書いた
新田次郎氏の〝アラスカ物語〟(新潮社)は
久しぶりに重量感のあるものだった。
いろいろな面を見て、人間のなまくささが、
どうにも耐えられない。
自分自身が、なまぐさい事をしていたからである。
武田商事の武田恒社長は俳句の俳の字は人に非ずと書く。
俳句に没入せよと言われた。
この一カ月〝明治俳壇理蔵資料〟を読みかえし、
萩野清氏の〝俳文学叢説〟の二冊を耽読した。
その結果、俳句はいよいよ遠いものになった。
筆者はこの原稿を書いて越中富山に行く。
名古屋の大同物産の富山支店が相場の講演会をする。
相場を真正面に捉えての講演会は、
なにかやはり自分自身勉強になる。
小豆相場も、
手亡相場も月末にかけて暗い地合いが予測される。
世間ではゴールデン・ウィークと呼ぶ四月末から
五月上旬の連休や飛び休は、相場のリズムが毎年崩れる。
穀物相場に関しては、黒い五月になりそうだ。
小豆の今月納会は三等小豆が圧迫する。
しかもその三等小豆の三割が古品らしい。
去年の五月も小豆相場は黒いシーズンだった。
強気してみて初めて判る相場の悪さ。
手亡も駄目。小豆も駄目。
納会は需要一巡で受け手難。
小豆は大暴落はないだろうが、
先限六千三、五百円の値段は仕方がない。
神戸の幸田商店の幸田孝治社長は言っていた。
『これからの相場は
弁当三、四食分持って待っているうちにしびれを切らし、
弁当取りに帰っているあいだに相場が出てしまう』。
まだ強気の大勢に入るのは一、二カ月早いという事。
誰も彼もがあきらめた時分がくるまで、
のんびりしていなければ投機のタイミングが狂う。
小豆が六千五百円を割ったら買う。
手亡は一万五、七百円に崩れ落ちたあとは少し反発して、
あと無相場。
白い豆が長い灰色に見えてきた。
●編集部註
黄金週間は相場だけでなく
相場師のリズムを狂わせる。
上り坂や下り坂ではなく
「魔坂」の展開になる事が少なくない。
昭和五十年五月の黄金週間明けの小豆相場は
「魔坂」の展開で始まる。
しかし「魔坂」の相場はこれだけでは終わらない。
【昭和五十年四月十七日小豆九月限
大阪一万七三一〇円・変わらず/
東京一万七三九〇円・一一〇円高】