昭和の風林史(昭和五十年一月三一日掲載分)
地にひそむ龍 雨雲を待つ姿だ
小豆は地にひそむ龍である。
必ず雲を得て天駈けゆかん。
そのエネルギーは充分に出来ている。
「早春の門こしぬれ朝のあめ 貞」
当限に回る小豆二月限は昨年九月に生まれた限月である。
昨年の九月は二日新ポであった。
]この限月が、どういう動きをしたかといえば
生まれが一万六千九百九十円。
次の日の七千四百四十円が一代の高値になった。
そして一番安い値段が暮れの17日につけた一万五千二十円である。
動いた高安はたったの二千四百二十円幅でしかない。
一代の日足線を眺めればまことに静かな相場である。
この間、手亡はどういう動きをしただろう。
手亡二月限は一万七千七十円で生まれた。
小豆とほぼ同じ水準の生まれだ。
そして次の日に小豆同様一代の高値を付けている。
一万七千四百五十円。
この値段は、この日の小豆の値段と十円しか違わない。
ところが、下げも下げたり。
暮れの手亡は一万一千五百八十円という安値をつけた。
下げ幅五千八百七十円。
山高ければ谷深しというが、
同じ高さの小豆と手亡の山でありながら、
小豆の谷は浅く、手亡の谷は深かった。
この違いを、どのように考えるかだ。
この事が、これからの小豆と手亡の動きを
教えてくれはせんかと思う。
作柄が違う。収穫高の違い。人気化、過熱度の違い。
取り組み。供用品などと、いろいろあるだろう。
もとより豆そのもの用途の違いもある。
小豆の一万五千円。手亡の一万二千円。
いまの値段が今は妥当な水準だとすれば、
この三千円幅の開きはどこから、
なにによって起因しているのであろうか。
生まれ落ちた時は同じ値段でも、
二人の運命は五カ月の間に、かくも隔たってしまった。
筆者は、ここのところに小豆の謎があると見る。
もし仮りに、ピービーンズの供用とか圧迫が
手亡になかったとすれば、
これはどのような運命を辿っただろうか。
見ていると、やはり小豆より手亡のほうに人気がある。
証拠金の違いによるとも言われる。
しかし、オーソドックスで、しかもダイナミックな相場が
小豆だと思う。
小豆は地にひそむ龍である。必ず雲を呼ぶだろう。
●編集部注
先日ラジオを聴いていたら、偶然ドラマが始まった。
「赤ヘル1975」。
直木賞作家、重松清の同名小説のドラマ化である。
昭和五十年は
球界初のメジャーリーグ出身外国人がカープの監督に就任。
彼はチームカラーを今の赤に変えた男。
開幕から僅か15試合で辞任した。
古葉竹識がその後の監督職を引き継ぎ、
チームをリーグ初優勝へと導く。
【昭和五十年一月三十日小豆六月限
大阪一万七二八〇円・二六〇円高
/東京一万七三二〇円・二五〇円高】