「山の日の障子にありて寒見舞」 呉竜 (2017.01.17)
昭和の風林史(昭和五十年一月十三日掲載分)
若い相場だ!! 沸騰力充分あり
手亡も小豆も大底を確認しての大直りだ。
しかも相場は若い。市場人気は弱いだけに案外大きい。
「山の日の障子にありて寒見舞 呉竜」
小豆の七千円台、手亡の四千円台、ともに用心深くなる。
利乗り玉は、早々と利食うし、
新規買いは、押し目を待って―となる。
弱気維持者は、もう一発噴いたところを狙う。
オーソドックスな相場なら小豆であるが、
奇手(鬼手)が好きな人は手亡相場の性格を好むようだ。
全般の取り組みや手口を見ていると
専業筋は小豆より手亡のほうが注文がとりやすい。
証拠金の関係もある。
手亡は相場界の〝やんちゃ者〟である。定石破りである。
根本的には需給事情が小豆と手亡では違う。
小豆当限は安値から六百五十円騰げているあいだに
手亡当限千百円強を騰げている。
小豆一月限は一代の高値(八月八日)一万九千四百円から
(十二月18日)安値まで四千七百五十円幅を下げた。
手亡の一月限一代の高値(八月八日)一万九千二百円から
(十二月16日)安値まで七千九百八十円幅を下げた。
まったく違うような動きをしていて、
大勢的に小豆も手亡も天底するのは同一時期である。
ただ動いた値幅が違うだけだ。
さて、目先的にこの手亡をどう見るか。
先限で一万四千五、七百円あたりは、付く値段である。
すでに千円棒を軽く立てている。
大勢観では、この手亡の三千円高、即ち先限の一万六千円目標で、
ケイ線の急所(大阪)一万四千六百五十円抜けから追っても、
この場合、充分利食える相場と見るが、
安心していける手を望むなら、
一万四千四、五百円どころからの初押しを買い下がってみる事だ。
相場が若いという事、需給事情が小豆と違う事、
安値で随分弱気がふえて売り込んだ事などが相場に弾みをつけ、
急伸した事により人気を集めた。
一方、小豆のほうは手亡のような小回りが出来ない。
しかし、相場は一万七千四、五百円があって、
その辺りから押したとしても大底の入った若い相場の出直りだから
押し目買いに専心すれば、苦労する必要はなかろう。
小豆の七千円台は、売りものをかぶるだろうと総体に警戒的である。
マラッカ海峡みたいなところを通り過ぎれば
一万八千円台への速度を上げることが出来る。
●編集部注
相場とは関係ないが、昭和五十年の世相を調べると
「中核派書記長内ゲバ殺人事件」というのが出てくる。
犯人は革マル派とされるが、
その革マル派のアジトが平成二九年に家宅捜査されている。
まだやってたんだ…。
【昭和五十年一月十一日小豆六月限
大阪一万六九九〇円・四〇円高/
東京一万七〇七〇円・一〇円安】