昭和の風林史(昭和四九年十二月十四日掲載分)
想いばかりがただただ燃える
強気することも出来ず、
また安値にきて売ることも出来ず
想いばかりがただただ燃える。
「雑炊や田舎の夜は寝るばかり 今夜」
古品小豆が北海道に、およそ三十八万俵ある。
このうち二十七万俵はホクレンが抑えている。
この分が定期市場に売りつながれる相場は重い。
ホクレンは小袋入りでも販売しているが、
量的にさばくには、
やはり定期市場を利用するしかない。
山梨商事の霜村昭平氏が、
強気しようにも強気できない理由として、
買えば買うほどホクレンが売りつないでこようから、
強気になれない―と。
確かにそれはいえるかもしれない。
ホクレンを向こうにまわして、
買い上げ機関のようなことになっては尨大な資金が要る。
師走も押し詰ろうというのに、
市場に活気がまったく見られないのも、
仮需要が湧かない背景があるからで、
これだけは人為的にどうすることも出来ない。
また17日発表の数字も、ここにきて
九月1日現在の数字より増大するらしい
―という見方が、淋れた市場をさらに閑にしている。
こうなると、因果玉の投げが、薄商いの市場で値段を崩し、
崩れた値段が新たな投げを誘発する。
いうところのチンタラ相場である。
しかし、
下値の限界としては生産者価格、輸送コストなどあって、
五月限基準の一万六千五百円が一杯の抵抗ラインであるから、
あえてこれを叩くわけにもいかない。
期近三本にしても九月28日、十月23日、十一月30日と、
やはり止まる水準では止まっているだけに、
このあたり以下は弱気出来ないという気分がある。
積極的な強気も出来ず、
さりとて安いところを弱気するのも心もとない。
どうしても様子を見ることになるから商いは閑になる。
まあ、これも相場というべきか。
売るべし、買うべし、休むべし。
橇の鈴さえ淋しく響く
雪の曠野よ町の灯よ一つ山越しゃ
他国の星が凍りつくよな国境。
明日に望みがないではないが
頼み少いただ一人
赤い夕日も身につまされて
泣くがむりかよ渡り鳥。
行方知らないさすらい暮し
空も灰色また吹雪
思いばかりがただただ燃えて
君と逢うのはいつの日ぞ。
●編集部注
天災は、忘れた頃にやって来る。
大相場も、忘れた頃にやって来る。
平成二八年一~三月、
小豆相場日足は八〇〇〇円以下で
絵の下手な小学生が
クレヨンで横線を描いたような動きであった。
年末に悪天候等で
一万一〇〇〇円を超えていると誰が想像しただろう。
【昭和四九年十二月十二日小豆五月限
大阪一万六八七〇円・七〇円高
/東京一万六九四〇円・一二〇円高】