昭和の風林史(昭和四九年十二月六日掲載分)
歳晩に感あり 物不足から一年
気乗り薄ながらなにか底堅い小豆相場。
相場の変わり目がついそこまできているように思う。
昨日は納めの水天宮。
いよいよ師走のカレンダーも駆け足ですぎてゆく。
昨今のように日暮れが早いと
特に一日、一日があっという間にすぎ、
夕方になると予定した仕事が片付くどころか
明日に溜まる方が多い。
早いもので、物価狂乱と物不足で
てんやわんやであった去年の暮れからもう一年たった。
去年の今ごろの弊紙を見ると
やや薄鼡色のツルツルの紙である。
あのころは紙が思うように入手できず、
ある紙はなんでも使わねばならなかった。
この紙も輸入物であったし、
新年号も用紙の確保や表紙をどうするかで
東奔西走したものだ。
百人一首に
「憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき」というのがあるが、
あんな無茶苦茶の時期でも一年過ぎると何かと想い出になる。
まして相場に関係があったり、
自分で相場をやっていた人にとって
一年前の昨日、今日の印象は強いはず。
たとえば、去年の十二月四日生糸は全限ストップ高。
五日は弊紙の相場欄の銘柄は
全部前日比高を示す白三角ばかり。
こんなことは一年のうちに二~三回もあるかないかだ。
そして、小豆、手亡、ゴム、綿糸、毛糸、生糸、乾繭、粗糖、
いうなれば全銘柄の一部または全部がストップ高を示現した。
その日の商品欄の方針は
「理屈を言う前に買え―熱狂ムード。
世相を映すS高の狂い咲き」と。
相場は人間の欲望を中心として、
世の中のあらゆる微妙な動きの終結したものだが、
いかにも当時の世相を
そのままに反映していたといえるだろう。
それから一年、経済界はうってかわって
金融引き締めと不況との中に呻吟し喘いでいる。
変われば変わるものである。
有為転変とはまさしくこのことか。
さて穀物相場だが、
他のものがようやく底入れ気分が漂ってきているのに
三年連続豊作、豆につきものの砂糖の異常高
といったことから、はなはだ頼りない足取りである。
下にもゆかぬが、
さりとて高くなる自信もないという風情。
年間最大の需要期だというのに
在庫発表も材料になりにくい。
しかし相場は次第に変わり目にきていると思われる。
ここは気長に強気を通すところだ。
●編集部註
平成の現在、このような歳末感はまだない。
この頃にあった水天宮はもうない。
耐震問題で立て替えられ、同じ場所に、
きらびやかでひと回り大きな建物がどんと鎮座している。
【昭和四九年十二月五日小豆五月限
大阪一万七二三〇円・二七〇円安/
東京一万七二五〇円・一六〇円安】