ノーモア煉獄の虐殺 手亡張り付け天井か (2016.07.15)
昭和の風林史 (昭和四九年七月十六日掲載分)
―市場管理の仕方に万人の神経が集中―
きょうも東穀のドームから
フランチェスカのチャイムがなる。
ノーモア40年小豆の祈願を込めて。
「業苦よび起す未明の風鈴は 波郷」
手亡が出ていく小豆が残る。
残る小豆が恨めしい。
手亡の凶作は、ほぼ決定的である。
値が残っているうちに買い玉を
建てておこう―と、期近限月も買われだした。
規制が強化されるだろうし、
最終的には上限値制限か、
新規売買の停止という場面か、
過去の市場管理の仕方なら充分に予想出来る。
この場合、自社株、即ち懐玉が、
どういうポジションにあるかによって、
これまでは、規制の仕方がいろいろ違った。
現在は、懐玉が制限されているため、
『客に買われて、上値無制限では店が食われる』
―という事などあるまい。
穀物市場が信頼されていない大きな原因が、
これまでのデタラメな市場管理の仕方にあった事は
万人認めるところである。
筆者は、事あるごとにそれを攻撃してきた。
懐玉が買われている時
(店が顧客の買いに対して
売りポジションになっている時)は、
早々と規制して自粛の名のもとに
上限値を決めてしまう。
その逆の時(
顧客が売りポジションで店が買っている時)は
規制のテンポがゆるく、
張り付け(天井)にしないで
踏みを充分に取っていくやり方。
業界の一部のボスによる〝きたない手〟が、
まかり通った時代があった。
誤解のないように言うが現在は、
自社玉が規制されているから、
そのような事は、恐らく無いと思う。
しかし時々、自社玉規制反対という声を聞く。
自社玉は顧客のためになるという理論は、
あれは真赤な嘘だ―とは言わないが、
昭和四十五年東穀二・一八小豆のハプニングや、
四十三年東穀三月限手亡〝夕方の納会〟。
昭和四十年四月十六日小豆立ち会い停止など、
時の理事長、理事者、市場管理人等
一部のボスによる〝虐殺〟の歴史が
人々の頭から抜けきれない。
そうなのだ。
北海道冷害凶作年の仕手戦は、
煉獄の中の虐殺であった。
なぜ東京穀物商品取引所の
立ち合い場フロアのドームから
フランチェスカの鐘を鳴らすのかといえば、
ノーモア40年小豆、ノーモア45年
二・一八事件と切なる祈願を込め、
燦(さん)と散った犠牲者の冥福を祈るためだと思う。
関係者一同は波乱気味の市場管理に心されたい。
●編集部註
昭和歌謡記述が続く。
フランチェスカの鐘は
広島の原爆への鎮魂歌として知られる。
この時の相場とこの唄と
何かが重なって見えたのだろう。
【昭和四九年七月十五日小豆十二月限大阪一万八八八〇円・一〇〇円安/東京一万八八四〇円・一一〇円安】