証券ビュー

森羅万象

千円棒黒々と 一本叩き込まん (2016.05.16)

昭和の風林史(昭和四九年五月十一日掲載分)
こんな事をしていると押し目でなく
崩れがくるのではないか。
千円棒を黒々と叩き込まん。
「さみだれのあまだればかり浮御堂 青畝」
四連休明け後は、
ボソンと気の抜けてしまった市場で、
まったく閑である。

そして商品全般なによらず前二本。
五、六月限がよくない。

この二本の限月は昨年12月の
〝石油相場〟と〝大発会御祝儀相場〟で
高値掴みになっている。

だから、どの商品に限らず、
五月限と六月限が落ちないことには
(納会しないことには)腰が重い。

ここに来て小豆相場は『崩れるのではないか』と
警戒人気が強まっている。
48年産小豆現物の重味が、
ようやく感じられる市場だ。

無理をすれば一万八千円でも九千円でも
付け〔られ〕るだろうが、
それは大勢に逆らうことで、
付けた値で逃げる(利食う)事は出来ない。

動詞の活用で
未然、連用、終始、連体、過程、命令
と六ツの活動がある。

一万九千円を付ける。

付けられる、と、
付くとでは大いに違う。

ら(ろ)、り、る、る、れ、れ(れよ)。

付けろ、付けり、付ける、付けれ。

付けてみせる―は勢いである。
採算無視になるかもしれない。

付けられる―は
可能性と自信のほどがうかがえる。

しかし以上二ツは
価格操作になる。なり。なれ。なろう。

付けろ、付けれ―は命令形である。

付く、付かんは時の運。
別れろ、切れろは真砂町の先生で、
相場と関係ない。

れ、れ、れろ、れろ―などと
助動詞活動をやっていると
頭が変になってくる。

木の芽時は用心するに越したことはない。
三宅応人先生の句に
木の芽和いよいよ母の耳とほく―とある。

付くまで待とう二万円。
付けてみせよう二万円。
この違いである。
付けてみせよう付けられる。
しかし、それをしてなにになる。

見渡せば閑である。深閑である。

下げて九月限の六千七百円あたり。
黒々と一本千円棒をぶち込むところだ。

いま、中途半端に値を維持している分だけ、
あとになって〝どか降り〟になりそうだ。

待つは仁―と古人は教えた。
駒鳥の鳴くが如き下げが入ろう。

●編集部註
 本当に暇である心情が
行間ににじみ出ている。

 サプライズというものは、
どんな事象でもこういった場面で置きやすい。 
先ず地震が起きて、その後、小豆相場も揺れる。

【昭和四九年五月十日小豆十月限大阪一万七四二〇円・九〇円安/東京一万七三九〇円・一〇円高】