昭和の風林史(昭和四九年三月二七日掲載分)
酸素不足の投機資金が
主体となっている間は相場に活力が出ない。
新しい血を希望する市場だ。
「あたりなを雨意をとどめて落椿 夕陽斜」
穀物相場を見ていると、
現在の市場に存在する投機資金は
手垢によごれ、くたびれているように思う。
濁ってよどんだ水。
底のほうにはヘドロがたまり酸素不足。
上のほうには浮遊の汚物がいっぱいである。
水を入れかえなければならない。
思えば昨年、阿波座地場筋は当たるを幸い、
その市場に与える影響力は末恐ろしく感じられた。
まさしく千里を行きて労せざるは
無人の街道を行けばなり―の感を深くした。
当時のウワサによると
阿波座連合の動員資力五十億円とも言われた。
言うなら彼らは
半ば本能的に発達したその嗅覚と
高度な仕手情報をもって縦横に駆けめぐった。
当時、一場立ちの儲け平均二、三億円とも言われた。
目先にかけては達人である市場の人々が、
巨大な仕手の動向を掴んでの売買テクニックだから
鬼に金棒、
まさしく鍬で味噌掘るように儲かったのである。
そのころ、派手なウワサを聞いた。
キタの新地やミナミで
一晩百万円単位の豪遊をしている―などと。
しかし長くは続かなかった。
また、鯉幟が三越の屋上にも
農家の庭先にもひるがえる季節がくる。
あれから早や一年。
阿波座のツワモノ達は
巻土重来を期している。
勝敗は平家も事期せず
羞を包み恥を忍ぶは是れ男児
阿波座の子弟才俊多し
土を巻いて重ね来たらん
昨年七月13日金曜日
ぼんの迎え火を焚いたこの日、
小豆相場は二万円突破必至の声に包まれながら
大天井を静かに打った。
それからの相場というものは、
およそ九千円幅を無常に下げ続けた。
九月11日。この日暦の上では二百二十日。
中秋の名月である。
名月や座頭の妻の泣く夜かな。
月にうらみはないけれど、
さしもの相場も大底を打った。
静かな底入れであった。
この下げによる打撃は大きかった。
そして本年一月大発会までの大騰げ。
阿波座は草も生えぬほどに荒れ果てた。
いま敗残のゲリラ的資金が息をひそめている。
●編集部注
複雑な心境になる。
この程度で〝荒れた〟と書かれてしまっては、
平成の御世は空気さえもなき地となってしまう。
【昭和四九年三月二六日小豆八月限大阪一万六六六〇円・一八〇円高/東京一万六五五〇円・一六〇円高】