昭和の風林史(昭和四九年二月五日掲載分)
断末魔の投げ。軟派の追撃売り。陰の極に接近するほど相場は悪く見えるものである。
「事すべて短信に足り梅二月 若沙」
神戸ゴム取引所の小西圭介氏と、かなり以前、炭酸曹達割りのウィスキーを飲みながら、銀製品で折りたたむと五センチぐらいになる、ちょうど短い鉛筆ぐらいの曹達を抜く小道具の話に興が乗った。この道具は蝙蝠傘の骨みたいな仕組みで、ハイボールのグラスの中で伸縮させると細い銀細工がキラキラと広がったりちぢんで、細かい気泡があがってくる。こんなものを使用せずとも割り箸で掻きまぜれば用をなすのだが酒飲みのちょっとした楽しみだろう。
昔、英国の紳士はチョッキのポケットに忍ばせていたという。
前々から欲しいと思っていた。その後、小西さんはトアロードの某店に、それらしきものがあるから見に行こうという事になった。
その時の事である。ゴム産業、ゴムの生産と流通、ゴムの相場、マレーシアの取引所の話に花が咲いて、ちょうど三月三日から視察団がシンガポール、マレーシア、ジャカルタ、ペナン、バンコックとおよそ十日間回ってくるから同行したらどうですかとすすめられた。
すでにもう準備が進んでいて、今から間に合うかどうかという事だが、駒井理事長も、いつまでも売った、買ったの記事でもあるまい、じっくり勉強する機会だと、おっしゃる。小生もその事は痛感していたし、諸般の情勢等考えれば行き詰まりを自分に感じている。気分転換にもなり、本気で勉強出来れば―と思った。
だが、なんとなく物憂い。行かなければならないが、あまり行きたくもない。すでに皆さんパスポートも入手し注射も終わっている。小生は間に合わないかもしれないという淡い期待と、ギリギリ間に合って、あわてるのも性に合わない。
小西さんからはゴムの参考資料や産地の現状がつぎつぎ送られてくる。
スケジュールに追われて旅行するのが大の苦手である。またたべものが気まま出来ないのと、身の回りのことを自分でするのが億劫である。困った事になったと気が重い。
さて、小豆相場は、なんぼでも下げよる。
一万四千三百円は七千円時代に売り方の目標であった。今その値に来ているが止まる様子がない。これもまた気の重い話である。
●編集部注
舶来品は銀座よりも横浜よりも神戸という時代があった。今もトアロードにその名残がある。
鳩メジャーで採寸するシャツを作るような店は、もう神戸くらいしか残っていないのではないか。
【昭和四九年二月四日小豆七月限大阪一万一四六〇円・四七〇円安/東京一万四三九〇円・二七〇円安】