昭和の風林史 (昭和四七年十一月一日掲載分) (2014.10.31)
閑閑新ポ閑閑 売りっぱなしだ
持ちも下げもならない相場で
強弱を垂れることほど、
たいくつなものはない。新ポ閑閑。
「山柿の五六顆おもき枝の先 蛇笏」
小田徹社長の豊栄物産の黒板に
〝知恵のある者は知恵絞れ。知恵の無い者汗絞れ。
知恵も汗もない者、やる気のない奴〟
(やめてしまえとは書いてなかったが)―。
いや本当だ、やる気のない奴、やめてしまえでよいのだ。
小田さんもなかなかやっている。彼は豊商事の専務だった。
天下の豊の専務の職を、さらりと辞めて独立した。
この店の名前は、豊商事と協栄物産から、
一文字ずつ取って付けた社名のように思うのは、
小田氏のところに協栄の前社長だった高橋茂氏が入社したからで、
もともとこの豊栄物産という名前は
豊や協栄が出来る前から北浜にあった。
いま九州で事件になっている㈱豊栄(いわゆる九州豊栄)も、
昔の糸をたぐれば同根であるが、
現在はなんら、かかわりあいがない他人である。
さて、きょうは十一月の新ポ。
相場のほうは安くなるまで待とう、ほととぎす。
読者もすでにお気づきの如く、当欄、
書きようがなくて難儀している。
こういう時に風林の目にとまったら災難だと思え。
博康先生は大変ご立腹だった。
『真面目にやれと言ったのは君じゃないか。
あれだとまるで小生が言ったみたいに受けとれる』。
足柄山と大江山からそれぞれ出てきたような風采の人物を
左右に配して、神部茂氏が
田山の山本社長の席でかしこまっている。
『きょうの席は全協連の山本ではありませんよ。
田山の山本としてお席をつくりました』。
その席に小生も呼ばれた。
つい今しがたまで、お隣のお座敷に
神部氏のしつらえたお膳で、
お昼から御(ご)酒(しゅ)をちょうだいしていて、
その少し前は西田昭二氏が
大きな声でまくしたてているのを
ふり切って別れてきたばかりだから、
友人藤野洵君も頭がガンガンすると言う。
小生はすでに天下の形勢が、どうなっているのか、
さっぱり判らなくなった。
彼の頭の中でガンガンする音が僕に伝わってきそうであった。
ともかく、相場が閑で強弱の書きようがないのが幸いなのか、
十月は、わけが判らないうちに過ぎにけり。
そしてこの一カ月のあいだに
パーティーが五ツもあった。さあ十一月。お酒ばかり飲んでもおれない。
●編集部注
この記事から四十二年が経過。
執筆人は既に故人となり、業界は…。
「パーティーばっかりやってたから
業界がおかしなっとんねん!」と、
筆者の近くで嘆く声が。
暴言も甚だしいが、
あながち間違いでも…。
【昭和四七年十月三一日小豆三月限大阪八五九〇円・七〇円高/東京八五〇〇円一〇円高】