昭和の風林史 (昭和四七年十月三日掲載分) (2014.10.06)
出足快調なり 天高く相場高し
十月は出足からなんとなく活気に満ちている。
穀取業界は今年ただ一回の二日新ポに期待する。
「脱穀のベルトゆたゆた筑紫なり 宰史」
東穀の中国大豆は第一節三百三十八枚(三限月)出来た。
数字合わせの上手な森川直司企画室長なら
〝さんざんや〟というかもしれないが、
出足は快調である。
しかも中国大豆に対するムードは、
きわめて高まり、期待するところが多かった。
二日新ポ、大阪の空は
衛星中継で見た北京の空のように抜けるように澄んでいる。
小豆は足立農林大臣の札幌談話(下期雑豆輸入割り当ては行なわない)を
好感して反発。荒れるといわれる二日新ポ月。
なんとなく今月は、うまくいくような感じである。
足立農相は、豆どころの北海道で人気取りもあろうが
①小豆は作付け面積の増反と予想外の豊作で相場が暴落している
②このため八月に発券した上期雑豆輸入外割り(一万九千㌧分)
による輸入を行政指導で引き延ばして行きたい
③このため下期の輸入割り当ては行なわない方針。
市場人気は、戻ったところは売りだ―と、
軽く見ているが、相場なんて、
案外このようなことから底値を脱出するものである。
人々は、小豆の相場は〝無い〟とあきらめている。
しかし七千八、九百円どころは、
いかに売っても取れない値段になっていた。
ここで、新値三段抜けが買いになり、
ナベ底脱出の人気が盛り上がってくれば
押したり突いたりしながらも、相場になるだろう。
相場なんて動きさえすれば人気が寄るし、
人気が寄れば動くのである。
手亡にしても押し目買いで
七千五百円あたりを狙う相場になっている。
これも、いずれ先に行けば
八千円、九千円という市場を湧かす場面を約束している。
とにかく一般経済界は不況脱出。
投機市場もスケールを大きくしている
という事を忘れてはならない。
五年前、十年前の大豊作当時とは環境がガラリと変わっているのだ。
岡地の岡地良彰専務が言っていた。
『五千万円や一億円、
ちょっとしたお客さんなら気にせず持ってきます。
びっくりしたなあも。
商品界は、まだまだスケールが大きくなる』と。
これを米常の安田稔社長式でいうと
『往生こいたわ』という事になる。
ほんまに〝びっくりこいたわ〟。
●編集部注
言霊の存在を風林火山がもし認めているのならば、
この文章は自分自身へのエールであろう。
言葉一つで状況が変わる程、相場は甘くない。
ただ、言葉一つに思いを託したくなる程
ここまでの相場は陰惨であった。
当時の相場と同様に、
文章自体にも少し前の活気が蘇ってきている。
【昭和四七年十月二日小豆三月限大阪八一六〇円/東京八一九〇円】