昭和の風林史(昭和四七年八月五日掲載分) (2014.08.08)
本当の大底を 構成しつつある
夏の全国高校野球の出場校も決まって
11日から大会が始まる。
そうなると相場は極度に閑になる。
「水は水洲は洲の夏の果つるかな 万太郎」
小豆相場であるが、
なんとなく抵抗が出来つつあるように思える。
ケイ線の専門家は、古い相場の底がはいり、
そして新しい相場の底練りが始まり、
これが傷口が癒えるように
日柄薬で気長に直るという見方をする。
投げるものは投げたし
辛抱している人はギリギリのところで
薄皮一枚残してまだつながっている。
産地からは積算気温では豊作。
作付けは、やはり大幅増反―と伝えてくる。
そして開花期。
なにを見ても、どこを向いても
強気すべきよりどころもなければ、
手がかりもない小豆の相場だ。
そして日中も夜になっても、とにかく暑い。
蕪村の句ではないが
〝草いきれ人死にゐると札の立つ〟
―を思わせる場面だ。
急速な回復、たとえば鋭角状のV字型反騰などは、
目下のところ考えられない環境であるけれど、
さしもの相場も、ようやく止まった―
という感じがしないでもない。
来週月曜日はもう立秋である。
藤原敏行は
〝秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる〟
と詠んでいる。
まだまだ残暑の厳しいなかで、
とてもそのようには見えないが、
歌よみの言葉のあやとすればその感覚は鋭いものである。
それと似たようなもので相場記事としては
目にはさやかに見えねども、
なんとなくこのあたりは
底の底という感じがしてくるのである。
仮りに小豆相場が、もう下げなくなれば
人々はきっと①豊作に売りなし②日柄充分
③値頃充分④内部要因改善
⑤秋の需要期控え―等々を言うに決まっている。
相場が強気を言わすのである。
相場とは、そういうものである。
さて、手亡の相場をどう見るか。
先三本、新穀限月は七千円中心の上下五百円。
その枠の中での高下であろう。
要は大手、あるいは策動筋が、
上げたいのか、下げたいのか、
それで、ある程度の動きは決まる。
小豆の商いが閑になってくれば
営業手段として手亡の買いをすすめるだろうから、
ある程度は高いけれど高値を飛びつくと
今のような状態になる。
あまり張り切らずに
押し目買いが良いのではなかろうか。
●編集部注
東商取がまだ東工取で、
それも箱崎の仮説取引所で
ゴムが手振りで取引されていた頃、
注文は全て算盤で勘定されていた。
世界初の携帯電卓「カシオミニ」が発売されたのが
昭和四七年八月。
ただ、まだこの頃は算盤が現役で活躍中の筈。
その取引習慣が平成まで残っていたという事になる。
【昭和四七年八月四日小豆一月限大阪九四四〇円・一一〇円高/東京九四二〇円・一一〇円高】