証券ビュー

森羅万象

昭和の風林史 (昭和四七年六月十七日掲載分) (2014.06.23)

案外、ここから下に千丁安という相場かもしれないな、

と思うのである。

そうなったらどうしよう。

「青梅に眉あつめたる美人かな 蕪村」

相場の世界では、閑散に売りなし、などという。

ところが今の小豆相場は、閑散になったあと、

真空斬りでストンと落とされる。

どれほど信念を持っていても、

この小豆を強気している人たちは、我れながら嫌気がさすはずだ。

ほかならず、彼はなぜ強気なのか?と問えば、

高値に買い玉があるからである。

取り組みも悪い、作柄申し分なし、輸入小豆圧迫。

そのなかにあって買いの旗印をかかげているのは、

まさしく奇蹟を待つようなものである。

ところが相場には理外の理という

奇蹟に似た動きが、案外あるもので、

七月限の一万六千九百三十円などという買い玉を、

まだ辛抱して頑張っているような人が

現に存在するのも、

あるいは、ひょっとしたら―と、

万に一ツの奇蹟を期待するからである。

それともうひとつは投げたら銭がいる。

損の決済をしなければならない。

うんうんうなりながらも

追証を積んで玉が生きているうちは、

わがものである。

切ったら、苦しみは消えるかもしれないが、

別の苦痛がさっそくはじまる。

西条八十作詞、古賀政男作曲の

ゲイシャ・ワルツという歌がある。

その中に、買わなきゃよかった小豆の相場、

こうれえが苦労の初めでしょうか―というのがある。

それでストトン、ストトンと値が下がる、

いまさら投げろとは殺生な―などとも言っておれない。

いま鳴る電話は追証の電話、

手をふり、いないといってくれ、

たびたび居留守も限度があって、

入らなければ玉を切ると最後の通牒。

切ったわ、投げたわ、大底だった―ということもよくある事だ。

あの野郎となる。他人をうらむでない、

みんながその気になったところが

往々にして底になるのだ。

明日(あす)のことは誰にも判らない。

明日に望みがないではないが、

頼み少ないただ一人、

赤い夕日も身につまされて、泣くが無理かよ渡り鳥。

さて、この先どうなるのだろう。

売り玉は利食いして戻りを待って、

また売る方法。

相場師は大底をぶっ叩くというから、

九、十月限の九千二百円目標で、

底抜けの勢いに乗る方法。

相場は、先限で

一万二百円あたりを付けてしまう模様である。

●編集部注
上記のような筆致の事を一般に

「筆が踊る」と表現する。ワルツかな。

【昭和四七年六月十六日小豆十一月限大阪一万〇四〇〇円・五三〇円安/東京一万〇三九〇円・五〇〇円安】