昭和の風林史 (昭和四七年五月二日掲載分) (2014.05.21)
反発は大歓迎 高いうちに売れ
阿波座連隊が暁の逆襲をかけたような新ポの相場である。
しかし相場に力がない。売り方針不変。
「芍薬にはねたる泥のかはきゐる 風生」
中国側は〝超友好商社〟にのみ七百㌧の成約に応じたと
連休明け伝えられた。
友好商社と超友好商社とは、どう違うのか、
われわれには理解しにくい。
それにしても、売り応じないとか、窓口を閉じたとか、
非友好的だとか、政治がからむだけに難かしい。
それでいて結構商売をしているのであるから
中国という国は、たいしたものだ。
たかが小豆の商売でさえこれである。
日本の政治かも財界人も商社も、大変なことであろうと思う。
メーデーの五月新ポは急騰した。
繰り上げ発券(上期雑豆)が見送られそうなこと、
交易会の商談難航―が材料になったようだ。
やや、売り安心傾向にあっただけに、反発は予想されていた。
四月25日の安値から千円戻し。
再び、申し分ない売り場をつくったように思う。
仮りに交易会で成約数量が少なくとも、
値段が高ければ売ってこよう。
むこうには〝売るべき品物〟があるのだ。
おそらく〝超友好的〟というのは、
値切らずに買うことを指すのではないか。
三晶は値切った。非友好的である。
三晶は投機行為である。投機行為は中国では死刑にあたいする。
きっと、そういうところかもしれない。
それで、三晶が手当て出来なければ踏んでくるだろう
というので定期市場は高騰した。
しかし三晶はこの日も定期を売っている。
しかし、四月末消費地在庫37~38万俵。
五月末は40万俵台の在庫になろうという時だ。
相場は出直れる性格のものでない。
取り組みは、やや売り込んではいるけれど
本質的には下長(買い長)である。
もうしばらくすると産地の相場が記入される。
目下のところ産地の気温は高目を推移している。
そして作付け面積六万ヘクタールという大幅増反。
府県産小豆も増反。
そして連休、節句が終わると
不需要期→梅雨→輸入物入荷シーズンとなる。
ともかく相場は高いところ、
たとえば新ポの前場二節のようなところを
〝まってました〟とばかり売っておけば、
大幅(といっても五、七千丁)の利が食えるものである。
売り方は、相場が高くなることを歓迎する。
それは盛(も)りのよいところを売ることが出来るからである。
●編集部註
田中角栄が佐藤派から独立したのがこの時期。
翌六月に「日本列島改造論」が出版され、
七月には内閣総理大臣に就任。
九月には日中国交正常化を実現。
中華民国との国交が断絶した。
【昭和四七年五月一日小豆十月限大阪一万〇七七〇円/東京一万〇八五〇円】