昭和の風林史 (昭和四七年二月十九日掲載分) (2014.03.13)
破滅への道を 軍刀かざして!!
長い目で見て、ものの道理から申せば、
小豆の買い方は、
往く処なき死地に向かっているのだ。
「古垣の縄ほろと落つ蕗のとう 犀星」
本業をお留守にして血(ち)道をあげているような相場師の末路は、
決まって本業の末路は、決まって本業のほうも駄目になり、
相場戦線から消えていくのは、厳然とした相場社会の掟(おきて)で、
近くにその例を見れば、日本トムソンの寺町社長がある。
見ていると、現在の買い方仕手主力は、あまりにも深入りしすぎている。
長すぎたた青春というのは映画の題名であるが、
長すぎた意地商い―は、その身体も精神も、
どっぷり小豆色に染(し)みこんで、
しまいには取り引き銀行の建物まで小豆色に見えてくる。
『お客さん、ほとほどにしたらどうでしょう』
『旦那、ちょっと深入りしすぎですぜ』
取引員は、頭に血ののぼったお客さんに、
必ず冷静な頭で言うのである。
だが、熱くなっている旦那さんは
『馬鹿を言え、客の注文が聞けんのか。
おれは他所に行ってやる。
取引員は、お前のところだけじゃなんだぞ』。
こうなるともういけません。
出入りの洋服屋にも春のスーツは小豆色にせい―などと、
小豆色の背広を着せたりして。
筆者は、
業界を去っても小豆色のベンツに乗っている人を知っている。
小豆の買い方は〝敵は百万ありとても〟という心境だと思う。
毛沢東中国がどれだけ小豆を売ってこようとも、
はたまた朝鮮小豆に台湾小豆があろうとも
軍刀をふりかざして、皆買え!!の号令をかける。
偉大なるかなピエロの如き相場師。
そうなのだ。蘆溝橋での三八歩兵銃弾一発が、
抜くに抜けない泥沼の支那事変に拡大して行った、
旧日本軍閥のように、
そしてベトナムにおける合衆国第一騎兵師団のように、
小豆の買い仕手は栄光なき戦いを続けるしかない。
しかも大陸相手の小豆買い占めである。
相場師記者・藤野洵君ならこう書くであろう
『ああ国際的買い占め師に栄光あれ』と。
三軍の衆を集めて険に投ずこれ将軍のことなり九地の変、
屈伸の利、人情の理、察せざるべからず。
国を去り境を越えて師(いくさ)するは絶地なり。
固を背にし隘を前にするは囲地なり。
往く処なきは死地なり。
死地にはわが将に之に示す、生きざるを以てせんと。
●編集部注
もう今はさすがにいないと思うが、
マオカラーならぬ〝マメカラー〟で身を固めた御仁は
絶滅危惧種だが、平成十年代の商品業界にはまだいた。
コーンよ騰がれとばかりに、
事あるごとにやたらとコーンスープを飲む御仁。
缶コーヒーではなくアラビカ種を飲もうと、
わざわざ豆屋で豆を買って、
挽いて飲む御仁などは結構ざらにいた。
昔、缶コーヒーは大半がロブスタ種であったのだ。
外目には滑稽に見えようが本人は必死だ。
商品の世界だけではない。
外為や株式では更にスケールが一段上がる。
誰もが知っている超一流企業の首脳陣が
為替や株式相場に血道を上げた例は枚挙にいとまない。
本文では、相場で身を持ち崩した代表例として
寺町氏が登場する。
ただこの人が凄い所は、崩れてまた復活した所。
相場界と実業界の2つで
栄光と挫折と復活を経験した人物はそういない。
【昭和四七年二月十八日小豆七月限大阪四〇円高/東京四〇円高】