書 評 もはや、これまで 1月7日 (2014.01.06)
「もはや、これまで」
西部邁・黒鉄ヒロシ PHP 1800円(税別)
劣化列島の頂で絶望を朗らかに語る真剣な冗談。序章の痛烈なパンチが心地よい。西部いわく、経済誌やビジネス誌に登場するエコノミストやファイナンシャル・テクノロジー専門家の言説が徹底的にくだらないのは、彼らに時間的な感覚が欠如していることです。未来というものは想像力を奮い起こし、辛うじておぼろげな輪郭がわかるだけのものであって、それを計算して何が何%とか馬鹿話が出来るのは、何一つ変わらないと思っている未開民族ぐらいのもの。そして、産業革命がよくないというのは馬から鉄道に換えたため。時間が縮まるという不幸も生まれた。新幹線がいいといいますが、あれで途中の旅籠(はたご)が潰れた。周りの景色も含め文化的なよさも失われたという。一方、黒鉄も負けていない。第一章の経済でいわく、今や世界が「入院中」です。医者のふりをしているのが経済評論家。みんな病気なんです。ハツカネズミが回し車の中で走るあの手つき、足つきがイノベーション。憑かれたように回し続け、疲労がたまり回せなくなってもエサを与えられ何か注射されたりして青息吐息で回している。100m走でも裸足で記録を競っていました。競技用に開発された靴、ウェアを替え0.何秒速くなる。必ず止まる時がくるんですよ。裸足なら10秒切れなかったと思い知ればいいのに、まだ9秒、8秒切ろうとしている。8秒を切るにはケツにロケットでも突っ込まなきゃいけないことぐらいわかりそうなものとやり返す。以下、教育、国家、戦争と平和、武士道、芸術、スポーツ、死と宗教。終章が時代の雑相学。些か拍子抜けだが、たまにアタリがきて快感を促す。(梵天)